富山 黒部の観光情報サイト「黒部藩」

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黒部川扇状地を一望!宮野運動公園

扇状地を見下ろす公園

宮野山から見下ろす黒部市

宮野運動公園は、黒部の市街地から車で約10分、海抜120メートルほどの宮野山にあります。「名水の里 黒部」っていう大きな看板が目印! 黒部市で最初の都市計画公園で、昭和34年(1959)に計画が立てられてから、実に30年以上の歳月をかけて平成6年(1994)に完成した公園ながです。

大きな目印「名水の里 黒部」

ゆるやかな斜面を登っていくと、眼下には黒部川扇状地が広がり、富山湾や能登半島も見渡せます。黒部川扇状地は「日本一美しい扇状地」と言われ、愛本を扇頂にした見事な「扇(おうぎ)」の形。かつてはたび重なる洪水で人々を苦しめた黒部川ですが、いまは流域の人々の生活を潤し、豊かな恵みを運んでくれとるがです。
散村の風景のなか、北陸自動車道が扇状地を横切り、大きな工場も眺められます。現在は、平成26年度に開業を予定している北陸新幹線の工事が進められとって、宮野山のふもとにできる新しい駅も楽しみながです!

市姫:新幹線の線路が見えるがです!楽しみ~

低くなった宮野山

宮野運動公園の成り立ちには、黒部の米づくりの歴史が深く関わっとるがです。
かつて黒部川扇状地は砂質のため保水力に乏しい「ザル田」で、米づくりには不向きな土壌でした。そこで粘土質の土を水田に運び入れて土質を改良しようという動きが起こったがですけど、田んぼ1枚1枚に大量の土を運ぶのは時間も労力もかかるため、流水による運搬、すなわち「流水客土(りゅうすいきゃくど)」という方法が提唱されたがです。
「流水客土」とは、赤土を水に溶かして用水に流し、水田まで運ぶという方法。当時はまだ限られた地域でしか行われておらず、扇状地全体の水田に行うのは無謀との意見もあったらしいがです。それでも農家の人たちの土質改良への強い要望があって、昭和26年(1951)から日本で初めての大規模な流水客土事業が始まり、そのときの採土地のひとつとして選ばれたのが宮野山だったがです。
宮野山の台地はずっと昔に扇状地だったところで、赤土が多く保水力が高い土地として知られていました。流水客土事業により宮野山は土が削り取られて低くなり、赤土がむきだしの無残な姿になってしまったがです・・・そのため、この跡地に木を植え、市民の憩いの場として整備したのが、現在の宮野運動公園の姿ながです!!

「流水客土」の様子を伝える看板があります

お花見、スポーツ、野外イベントも!

宮野山の桜

宮野山は桜の名所として知られていて、春には約800本のソメイヨシノが山肌をピンク色に染めるがです。公園の敷地内には陸上競技場、野球場、テニスコート、体育館、相撲場などのスポーツ施設があるほか、広々とした芝生広場にはアスレチックやすべり台などの遊具もあって、思い思いに楽しめるがです。
宮野山のシンボルともいえる仏舎利塔は、公園の整備にともなって建てられたがです。「仏舎利」とはお釈迦さまの遺骨のことで、黒部にあるのはインドのピプラーワー(ピパルヴァ)の古代仏塔から発掘されたもの。昭和39年(1964)に黒部市にお迎えし、昭和42年(1967)に仏舎利を納める塔が建てられました。
自然豊かなロケーション、扇状地の眺めをバックに各種イベントが行われてきた野外ステージでは、この夏19年ぶりに伝説の野外フェス「ホットフィールド」が復活! 開催は8月25日(土)・26日(日)の2日間。これは絶対見逃せんがです☆
詳しい情報は、ホットフィールドHPをチェック!

仏舎利塔や大きなステージも
黒部太陽の守:地元の人々の暮らしに深くかかわる施設なのじゃ

《参考文献》
『宮野運動公園と人々の生活』(黒部市立前沢小学校、昭和59年)
『美田豊壌―県営ほ場整備事業荻若地区事業誌』(黒部川左岸土地改良区・荻若ほ場整備組合、平成元年)
『語りつぎたい黒部人』(黒部市教育委員会、平成20年)

【宮野運動公園】
黒部市宮野
アクセス 北陸自動車道 黒部I.C.から車で10分
〈問合せ〉黒部市公園管理事務所 TEL:0765-54-1236

(2012年5月31日)