「母が2年前に亡くなって、その人生を作品にしてみたんです」
お母様がお亡くなりになられた1ヶ月後に、舞台公演を控えていた西村さん。その舞台では、「埴生の宿」の歌を取り入れた作品を創り上げ、母への想いを踊りに込められました。
西村さんは舞踊家として活動する一方で、年老いたご両親の介護をしておられました。肉体的にも精神的にも負担が大きく、「父が亡くなった後、母の認知症の症状が進んで大変だった。母には申し訳ないが、父に母を迎えにきてくれと祈ったこともありました」と、当時の心境を教えてくださいました。
この作品で西村さんは、もんぺと作業着をイメージした衣装を身にまとい母親を演じとられますが、その傍らには、2羽の蝶々が舞う演出があるがです。
「母が亡くなった時、庭に蝶々が飛んでいてね。時折、うちの庭に来るんですよ。その蝶々の姿を見て演出が浮かびました」お母様がお亡くなりになられた日は、奇しくもお父様の誕生日。2羽の蝶々がご両親の姿と重なります。
蝶々役をお願いした妹さんには、「(母は)そんなに足なんかあげん」と言われ、「私一応、ダンサーやから足ぐらい上げんとダメやろって(笑)。そんな感じで作品を創り上げたんですよ」と、楽しげに西村さんはおっしゃいます。踊りに関しては、ついぞ好意的にはみてくれなかった母と娘の間には、確執があったがです。けれども「母のことを踊ることで、あちこちからお声がかかって。東北の方にも行かせてもらったり、すごくなんて言うのかな・・・」と、言葉にしきれないお母様への思いが今の西村保子さんという表現者を形作っています。そしてそんな方の作品だからこそ、人生の可笑しくも哀しく、儚い想いがよりリアルに感じられ、人々の心を打つがですね。
身近に感じられる表現を
東京時代の西村さんは、周囲に溢れる様々な情報から「何をやればうけるか」ということばかり探していたそうながです。しかし、地元に戻られてからは情報に翻弄されず「本当にやりたいことを練れている」とおっしゃいます。
数年前には、大人舞踊集団「ダンスFa.レゾナンス」を結成。実験的で自由な表現の世界を発信されてます。今春の公演では、与謝野晶子や太宰治といった作家をピックアップし、朗読と踊りを融合させた「声に出して踊りたい文学」を演じられました。「太宰治とか、現実にそこにいると迷惑な人そうじゃない(笑)」と、西村さん。そういう人物像などを膨らませ、「恥の多い生涯を送って来ました(人間失格より)」をスキップしながら言ってみるなど、すでにあるイメージに固執せず自由な発想で作品を創られたがです。
「踊りの技術を見せつけるものだと、観客との距離が開いてしまう。技術より身近に感じられる表現をやりたい」
高い技術は、ダンスに馴染みのない人達からするとハードルが高く感じられてしまいます。西村さんの表現は、そういった層にも届くようにと作られているので、予備知識がなくても段々と引き込まれていく感じがするがです。
「親には30歳までは好きな踊りをしたいからと言ってたけど、60歳を過ぎてもまだやっていますね(笑)」
自分の人生を表現していきたいとおっしゃる西村さん。これからも素敵な作品で、沢山の人を感動させて欲しいがです♪
「ニシムラヤスコダンスファクトリー」
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(2018年10月5日)