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第38回 達人

「魚津の伝統文化が息づく、たてもん祭り①」
海苔洋二さん、美谷喜代志さん

・海苔洋二さん(魚津たてもん保存会 会長)
・美谷喜代志さん(魚津たてもん保存会 会長相談役)

第38回 達人「魚津の伝統文化が息づく、たてもん祭り①」海苔さん、美谷さん

300年以上続く魚津の伝統の祭り

魚津たてもん祭り

毎年8月第1金曜・土曜に魚津市諏訪町の諏訪神社で、たてもん祭りが開催されます。今から300年以上前、(享保年間)江戸時代の八代将軍吉宗の頃から、豊漁と航海の安全を祈願して始まったと伝えられています。
諏訪神社の氏子の町内から7基のたてもんが繰り出され、巡行・回転奉納・ご祈祷を行う諏訪神社の神事として現在に受け継がれています。たてもんは、高さが約16mある誠柱に90個ほどの提灯を帆のように三角形に吊し下げ、ソリ台の中央に立てます。日が暮れると海岸沿いでは、たてもんに吊された提灯の柔らかな明かりが辺り一面を包み込みます。山鉾には、お囃子担当の子供たちが乗り込み、お囃子の小気味いい音色と若者達のかけ声が響く中、80人ほどで総重量約5トンもあるたてもんを威勢よく曳き回します。
今回は、魚津の夏を彩るたてもん祭りについて、長年携わってこられた、魚津たてもん保存会・会長の海苔洋二さんと会長相談役の美谷喜代志さんにお話を伺いました。

じぃ:たてもんと呼ばれる由来は「神前にお供え捧げたてまつる」が訛って、たてもんになったと、いわれとるそうじゃ。

手作りの特製お守り

「僕らにとって、たてもんは生活の一部。当たり前なことなんです。」とおっしゃる海苔さんは、普段は大工さんをされているがです。毎年、海苔さんは仲間たちと一緒に、お祭りに参加される皆さんへお守りを作られています。一度のお祭りで用意される数はなんと1000枚!これを一つ一つ丁寧に手作りで用意されていかれるがです。材料となるのは、いい香りが漂う「クサマキ」という木。ここに、焼き印を打ち、朱印を押し、ご祈祷し魂を込めた後、お祭りに関わる方々へ配られるがです。中にはこのお守りが欲しくて声を掛けられる方もいらっしゃるのだとか。ただ、このお守りは一年が終わったら返して頂き、お正月や火祭の日に焼納されることになっとるがです。
「たまに自分が何をしているのかと思う時がある。大工さんなのか、たてもんなのか(笑)」と海苔さん。たてもん祭りが終わった翌日から、また来年のお祭りの準備が始まります。海苔さんがおっしゃったように、たてもんとはお祭り当日だけではなく、日々の暮らしの中に溶け込んだものながですね。

クサマキの木で作られた、焼き印を打つ前のお守り。
この後、朱印を押す前してご祈祷を受けるとやっとお守りができあがります。

車のない唯一の山鉾

車の代わりソリが取り付けられている、魚津のたてもん。

魚津のたてもんは、全国に33ある山鉾団体の中で唯一、車(車輪)のない山鉾ながです。「今は海岸に砂場がなくなりましたが、私らが5〜6歳の頃にはまだ砂浜が残っていました。たてもんは砂浜を曳いたのが始まりなんです。だから、車ではなくソリが付いているんです。」と美谷さん。たてもん祭りは、もともと漁師さんのお祭り。漁師さんのお祭りならではの山鉾の作りだったがですね。
「砂だけだと埋まってしまうんですが、砂の中の石の上に乗ることで、スッと曳くことができるんですよ。」と海苔さんが説明してくださいました。現在では砂浜に代わって舗装された道路の上を曳いていますが、それでも総重量約5トンもある山鉾を車なしで曳くのはかなり大変で力が必要です。
「昔は柔らかい鉄を使用していたので、道路に食い込むんですね、摩擦で。それで非常に重くなるんです。一回のお祭りが終わるたびに鉄が4mm削れていました。」と海苔さん。お話を聞いているだけで、たてもんの重さを想像してなんだか手に汗が滲んできたがです。たてもん祭り本番では、車のない山鉾を力一杯曳くパワー溢れる姿にぜひ注目ながです!