商店街発タウン紙
その名を聞けば、黒部に住む多くの方がピンとくるほどまでに成長した”ニコタン”ながですけど、発行当初はゼロからのスタートやったがです。元新聞記者の中島さんの存在が有るとはいえ、インターネットなど普及していない時代。あちこち飛び回っては紙面に掲載する情報を探しだされとったそうながです。
ところが現在では、編集の時期が近づくと掲載依頼がFAXで送られてきたり、直接りんりん館を訪れて掲載をお願いされる方もいらっしゃるそうながです。むしろ掲載の希望が多すぎて、いかに情報を圧縮するか考える方が大変ながですって!
「最初は勝手に紙面を作って新聞折込するから、怪文書って思われていたと思う。」と中島さんはおっしゃいますが、今の状況を考えれば、きっとはじめから皆が求めるタウン誌やったがですね☆
そこをみればその情報がある
30年以上続いてきたニコタンながですけど、さぞかし紙面も様変わりしてきたのかと思えば創刊号を見てビックリ!現在のものと比べても、レイアウトや形式の変化はほとんどありません。変わったと言えばタイトル部分のロゴと、創刊時にはスカスカだったイベントスケジュール覧がぎっちりと埋め尽くされていることくらい。
つまり、最初から限られた紙面スペースの中で、読者が欲しい情報を見つけやすいよう工夫されとったという事ながです♪インターネットなどで様々な情報を入手できるようになった今でも、黒部の一か月のイベントスケジュールを一目で確認するにはニコタンが一番ながですよ!
「時代とともに、文体は変わってもスタイルは変わらない。そこを見ればその情報がある。」と中島さん。
ニコタン歴史30年は、黒部の歴史30年と重なるがですね。
ライフスタイルの一環
Uターンで商店街に戻ってこられた中島さんは、ニコタン以外にも多くの地域活動に貢献してこられました。
黒部まちづくり協議会の三日市ワークショップなどの団体に所属され、街に活気を取り戻すための仕掛けやイベントを企画・実施してこられたがです。
中島さんにとってそうした活動とニコタンの編集をすることは、ライフスタイルの一環になっとるそう。それはどちらの活動においても、出会った多くの人が中島さんにとって財産になっとるからながです!
「ニコタンは、自動販売機と一緒。みんなが出し合った広告費が毎月支払われてくる。だから毎月1日にニコタンが出る。最初はせいぜい1~2年だと思っていたけど、気がついたら400号だっただけ。」と中島さんは言われるがですけど、そんなことはないがです。なんとなく、ではそんなに続かんと思うがですよ。という事は…中島さんはもちろん、”黒部のみんなの財産になっとるから”という気がするがです!!
大変人当りがよく親しみやすいお人柄な中島さんを慕って、りんりん館には自然と人が集まってくるがです。ながで、中島さんのそばでまた素敵な財産が生まれることを期待したいちゃね♪
中島さん、お忙しい中ありがとうございました。これからも黒部の話題をたくさん伝えたってくださいね☆
(2013年10月17日)