ニコニコタウンは旧黒部市エリアを中心に毎月1日、新聞に10,850部も折り込まれる黒部の情報誌ながです。昭和55年(1980)6月に創刊して以来、30年以上毎月欠かすことなく発行され、平成25年(2013)9月に400号を迎えられました!!
B4サイズ・両面刷りのニコニコタウンは、市内で開催されるイベントやお知らせなどをカテゴリーごとに見やすく分けて掲載しとられ、新聞では取り扱われない小規模なイベントでも大きく取り上げてくださいます。地域を絞った情報紙ならではの魅力ながですね。さらに、裏面にあるイベント情報の黒部カレンダーはとっても便利ながで、冷蔵庫とかに貼って活用する人も多いがですよ♪(^m^*)
そんなニコニコタウン、黒部の人は親しみをこめて「ニコタン」って呼ぶがです。
そんなニコタンの編集をされとるのが、黒部市中心部の三日市で自転車屋さんを営んでおられる中島憲一さん。中島さんのお店”りんりん館”は、大正11年(1922)に中島自転車商会として開業されました。それから90年以上もこの地で代々自転車屋さんをやってこられ、中島さんは三代目。
「なぜ自転車屋さんがタウン紙の編集を…?」という疑問が浮かぶがですけど、そこには中島さんの前職との関わりがあったがです。
中島さんは大学を卒業後、石川県の大手新聞会社に就職。新聞記者として現場へ取材に行ったり原稿を作ったりして活躍されとったそうながです。しかし、30歳を過ぎた頃ご両親が高齢になられたことを考慮し、地元に戻って自転車屋さんを継ぐことを決意されたがです。
地元に戻ってきた当初は、当然ながら一から自転車の修理に取り組まれました。今でこそ他の自転車屋さんが修理の仕方を聞きに訪れるほど腕の良い自転車屋さんながですけど、最初の頃はパンクの修理すらおぼつかなかったそうながですって!
そんな中島さん、自転車修行の一方で地元商店街の会合や地域活動に参加することが自然と増えていったそうながです。
ちょうどその頃、全国ではタウン誌ブームが起こっとりました。
それまで新聞や情報誌は、お金を出して購入するのが当たり前やったがです。ところが昭和50年頃、企業や第三者からの広告費を製作費へと充てることにより、一般利用者は無料、または安価で情報を入手できるというスタイルが生まれました。気軽に入手できるようになった情報誌は、当然一般へも普及していくこととなったがです。
ちなみにどのくらい普及したかというと…60年代には100誌未満だった特定地域の情報誌が、上記のスタイルになった70年代には200誌、80年代にはさらに飛躍して540誌へと増えてったがだそう。
そんなブームの波に乗って、「みんなでやってみようか」となりました。”みんなで”とは、中島さんと三日市の大町商店街などの皆さんのこと。創刊以来ずっと商店街の36店舗が広告費を出してニコタンを支えとられるがです!
中島さんは「ブームに乗っただけ」とおっしゃいますが、30年以上ずっと継続して発刊されとることを思えば、もはやブームと言う言葉では片づけられんちゃね。