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第32回 達人

「一億分の一の奇跡の出会いに感謝①」
丸山喜美子さん

(ウェディングデザイナー)

第32回 達人「一億分の一の奇跡の出会いに感謝①」丸山喜美子さん

三日市のパーマ屋さん

ウェディングデザイナーをしておられる丸山喜美子さん

モリ美容院は昭和30年(1955)に黒部市三日市で開業しました。最初は町の小さなパーマ屋さんやったがですけど、現在では県内で4つの店舗を運営するまでに成長したがです。ヘアー、エステ、ネイルなどの美容に関するサービス全般を提供されるほか、ブライダルの総合プロデュースも手掛けておられ、本店にはフォトスタジオやチャペルなども併設しとるがです。また、モリ美容院のレンタル衣装は、常に最新ブランドを取り揃えていて、豊富なサイズと種類が評判ながですよ♪
モリ美容院の常務である丸山喜美子さんは、創業者である森年子さんの娘さん。丸山さんは中学生の頃からお母様の影響を受け、美容師のお手伝いをしてこられました。そんな丸山さんが美容の道にデビューしたのは、なんと高校1年生のとき!お母様のお手伝いで、お嫁さんの付き添いという大役を任されたそうながです。そのとき丸山さんは16歳。失敗は許されないというプレッシャーの中、見事大役をやってのけました。これを機に、丸山さんは多くの花嫁さんに付き添ってこられたがです。

たくさんのウェディングドレス

一生に一度のお手伝い

「お嫁さんは一生に一度きり。とにかく自分ができること全てをしてあげなくちゃ。」丸山さんのお母様が常日頃から口にしとられた言葉だそうです。
現在ではウェディングデザイナーとして有名な丸山さんながですけど、その礎を作ったのがお母様。「黒部市中で有名なくらい本当に厳しい母だった。」と丸山さんはおっしゃいます。でも、丸山さんを語る上で美容のプロとしての意識を強く持ったお母様はなくてはならない存在やったがです。
そんなお母様の背を追うように、丸山さんは高校の勉強と並行して美容師になるための通信講座を受けられ、見事、高校卒業と同時にインターンの資格を取得されました。さらに休日には花嫁さんの付添い等を務められ、周りのお友達に比べると随分お忙しい高校時代を過ごされたそうながです。でも、丸山さん曰く「なんでこんなこと…と、思ったこともあったけど、付き添いをしたお嫁さんの幸せそうな笑顔を見ると、自然と自分も幸せな気分になれた。」とのこと。きっと丸山さんの頑張りが、花嫁さんの笑顔に繋がっとったがでしょうね♪

じぃ:大変な青春時代...!その中でも、しっかりとやりがいを見いだしておられたのですなぁ。

美容師さんの役割

現在ではホテルや結婚式場で式を挙げるのが一般的ながですけど、昭和30年代の黒部では、八心大市比古神社(三島さま)で神前式をしてから、お婿さんの自宅で親族にお披露目をするというのが一般的やったとか。この頃の美容師さんはと言うと、花嫁の髪を結い、着付けをして、付き添いをするというのが自然な流れやったがですって。
でも、高校を卒業した丸山さんが美容師として第一歩を踏み出す頃になると、それまでの結婚式のスタイルが変化してきたがです。昭和41年(1966)に黒部市民会館ができると、それまでより大規模な結婚披露宴を行うカップルが増えてきたがですよ。
でも、当時結婚式場そのものの概念がなかった黒部では、友人や知人を招いて盛大な披露宴を開催しても、披露宴の演出を引き受けるところがなかったがです。にもかかわらず、結婚披露宴そのものがだんだんと派手になっていって、結婚式の演出を美容師である丸山さんに要望されるお客さまが増えてきたがですって!!

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