命を預ける山岳ガイド
高嶋さんは山岳ガイドとして、多くの人を黒部の山奥へ案内しました。山と一体になって生きる高嶋さんが案内してくれる場所には、想像を超えた異次元の感動があるがですって!山で研ぎ澄まされた感覚は常人には聞こえない音を聞き、見えないものを見ていたようで、高嶋さんに急に制止されて立ち止まると、目の前に落石が転がってくる、ということも。その言葉には説得力があり、不思議と身を任せられる安心感があったそうながです。
昭和62年(1987)、テレビ番組の取材で黒部を訪れた柳生博氏は、高嶋さんに案内されて剱大滝まで行き、深い感動を得たといいます。その濃密な黒部の体験は、高嶋さんの存在抜きには考えられないこと。単なる道案内ではなく、目の前で起こる出来事ひとつひとつの意味や関係性を、高嶋さんの言葉で語ってもらうことで、より深く「黒部」を理解することができるがですね。柳生氏は信頼できるガイドに出会えた、と高嶋さんを絶賛し、それ以来黒部の山に来るときは必ず高嶋さんに案内してもらっとられたがです。
黒部峡谷の核心へ
宇奈月温泉にあるセレネ美術館には、日本を代表する画家7人の手による、黒部峡谷を描いた作品が収められとるがです。これは平成5年(1993)のオープンに際し、黒部のかけがえのない自然を絵画芸術として未来に残していこうというコンセプトのもと、実際に作家のみなさんを黒部峡谷へ招き、作品を制作するというプロジェクトが立ち上げられたことによるものながでした。
セレネ美術館の初代館長・濱田政利氏が、取材に訪れた手塚雄二氏を欅平に案内したとき、偶然トロッコ電車に乗り合わせた高嶋さん。濱田氏の話を聞いて美術館の理念を知り、その後は案内役として大いに力を貸してくれたそうです。
「日本の宝」ともいえる偉大な芸術家たちを黒部の山奥へ連れていくということで、その行程は緻密に計画され、万一のことがないように細心の注意が払われました。高嶋さんのような頼もしいガイドがこのプロジェクトには必要不可欠であり、翌年には正式に美術館スタッフ(嘱託)となったがです。
高嶋さんが遺してくれたもの
高嶋さんの協力を得て完成した作品は、セレネ美術館に常設展示されとるがです。黒部川の源流をたどった平山郁夫氏は「落ち着いて取材に没頭できる。」と高嶋さんに絶大な信頼を置き、取材の中で目に焼き付けた秘境の姿を11点の作品に残しました。
そんな数々の業績を残された高嶋さんでしたが、平成6年(1994)10月、日本シッキム・ヒマラヤ登山隊に参加し、ツインズ峰の初登頂に成功(第2次アタック)。しかし下山中に遭難し、数日後に死亡が確認されました。
天性の山感覚を持ち、研究熱心で、黒部のことを語らせたら右に出る者がいない、と言われた伝説の人。ご存命であったなら、今もきっと多くの人に黒部の素晴らしさを紹介してくれていたことでしょう。その目に映っていた山々の姿に思いを馳せつつ、こんなに偉大な人が黒部にいたことを忘れずにいたいと思うがです。
【取材協力・参考文献】
黒部市歴史民俗資料館 平成24年度 冬の企画展「高嶋石盛」展
黒部市歴史民俗資料館 歴史講座「黒部峡谷と名ガイド高嶋石盛」 講師:佐々木泉氏(2013.2.16開催)
ふるさと開発研究所「富山写真語 万華鏡」250号(宇奈月のミュージアム)「故高嶋石盛さんの思い出」 著:濱田政利氏
(2013年03月01日)