「幻の滝」の完全遡行
滝の大部分が岩壁の陰に隠れ、黒部峡谷の深奥部にあるために近づくことさえ難しい剱大滝。「幻の滝」とも呼ばれる落差150メートルの大滝は、長いあいだその全貌を知られることなく、山あいに轟音をとどろかせとりました。この剱大滝を初めて完全遡行し、世に知らしめたのが高嶋石盛さん。地元宇奈月町(現・黒部市)生まれの高嶋さんは、子どものころから黒部の山に入り、地形はもちろん動植物や自然現象にも精通し、「黒部の主」ともいえる存在だったがです。
昭和57年(1982)10月、高嶋さんはそれまで誰もなしえなかった剱大滝の完全遡行を、たった一人で成功させました!これ以前にも大滝を調査した記録はあったものの、まだまだわからん部分が多かったがです。高嶋さんは、ただでさえ危険なこのルートに単独で挑み、滝のひとつひとつを詳細に記録して、剱大滝に12段の滝があることを初めて明らかにしたがですよ。
遭難救助の現場で
山を熟知していた高嶋さんは、山岳警備協力隊員として遭難者の救助活動にも参加されていました。民間人でありながら現場へいち早く駆け付け、瞬時に正確な判断を下す高嶋さんには、みんなが一目置いとったそうながです。
平成元年(1989)12月31日、清水岳頂上付近で京都府立大学山岳部のパーティーが遭難し、高嶋さんは黒部警察署の山岳警備隊とともに救助に向かいました。冬山は危険と隣り合わせの過酷な現場。隊員の体調不良で二人きりとなった救助隊は、悪天候でホワイトアウト(視界が悪くルートが分からない状態)のなか、無線機の故障も重なって一時は二次遭難の恐れもあったとか。それでも何とか彼らを助け出し、無事に下山させることができたがです。
トレーニングを積んだ登山の上級者でも遭難してしまうような厳しい現場に、高嶋さんは果敢に飛び込んでいかれました。山岳救助は命がけの仕事であり、体力はもちろん、危険を察知する鋭い感覚と、強い気持ちがなければできんことながです。
行動力ある快男児
救助活動だけではなく、事故防止にも努められた高嶋さん。持ち前の行動力で新しいルートの開拓や登山道の整備などを次々に実現させて、周りの人を驚かせました。日本屈指の巨大岩壁といわれる奥鐘山の西壁は、かつて転落事故が絶えないところやったがですけど、高嶋さんは岩場を避けてヤブの中を進むルートを作り、オーバーハングした岩の上部に鉄の棒を打ち込んでアンカー(支点)を設置したそうながです。重い鉄の棒を何本も背負って登り、目もくらむような崖の上で平然と作業する高嶋さんは、やはり並み外れた精神力を持っておられた方やと思うがです!
登山スタイルはヘルメットに地下足袋、ベストにはいろいろな道具を詰めて、黒部の山の中を縦横無尽に行き来する生活。普通の人が数日かかるようなルートも、1日で往復できたがだそうです。うわさによると、山のあちこちに食料をデポ(あらかじめ置いておくこと)していたとか・・・。他の人には真似のできない早業で山の仕事をこなす高嶋さんは、みんなから好かれ、頼りにされとったがですね。