トキメキばーちゃん
黒部市には平成20年(2008)に、佐渡で放鳥された国の特別天然記念物である朱鷺の一羽が住み着いています。トキメキと名付けられ地元の人から愛されとるがです♪
黒部市在住の沢田みどりさんは、主婦である傍ら、アマチュアカメラマンとして県内外の写真展で数多くの受賞をされています。トキメキについてなら、沢田さんに聞けば何でも答えてくれる!と言われるぐらい、地元では有名な方ながですよ♪ それというのも、各地で受賞した朱鷺のパネル写真をはじめとし、朱鷺の写真集などを市内の学校施設を中心に数多く寄付されておられ、「トキメキばーちゃん」の名で園児や児童から親しまれとるがです。
また、沢田さんといえば朱鷺!と思われがちながですけど、実は朱鷺が飛来する以前から、歌のボランティア活動を行う他、初代黒部名水大使として黒部のPR活動に参加するなど、様々な活動に積極的に取り組んでこられました。
いつか絵を描きたい
沢田さんが初めてカメラを手に取ったのは20歳のころ。そのころの沢田さんは、農家の家に嫁いで子育てと主婦業で忙しい日々を送っておられたそうながです。昔から絵を描くことに興味はあったものの、なかなか時間をとることができない。「いつか自分の時間がゆっくりとれる日がきたら、絵を描いてみたいな…」と、日々の生活で目にする景色や花など、印象に残ったものを撮影し、将来絵を描くときの参考にしようと写真を撮り始めたのがきっかけだったがですって!
「平凡な主婦だった」と、沢田さんはおっしゃいますが、持ち前の明るく楽しい性格を活かした様子が、子育ての中にも垣間見えます。お孫さんが保育園に通っていたころ、無地のTシャツが味気ないと思い、アクリル絵の具でかわいいイラストを描いたそうながです。すると、私にも描いて!と、園児の親御さんや先生から依頼されるほど人気になったとか。主婦として、おばあちゃんとして、家族のふれあいを大事にしてこられたことが伺えるがですよ。
「いつか時間ができたらと思っていたけど、気がついたらあっという間に歳をとっていたの」と、沢田さんは笑顔で言われるがです。
両親に感謝
それまで主婦業に専念していた沢田さんに転機が訪れたのは、お孫さんの手が離れた56歳のころ。たまに息抜きで通っていたカラオケ喫茶で、「あなたおしゃべりが上手だし、いい声をしている。歌のボランティアをやってみない?」と、声をかけられたそうながです。私の歌でボランティアに?と、いきなりのことに引き受けるかどうするか迷ったけれど、チャレンジしてみることに。そこには相次いで世を去ったご両親への思いがありました。
「両親が他界した年齢に私自身がなってみると、まだまだ元気で動き回れるの。両親には、きっとやりたいことがたくさんあったのだろうと思う。そう考えると、やれることはやれるうちにやっておかないと!って、思い切って引き受けてみたの」と、沢田さん。
ボランティアを始めたばかりのころは、有名な曲のコピーを歌っていた沢田さんですが、しばらくして最初の持ち歌となる「両親(ふたおや)に感謝」を発表されたがです。
沢田さんが作詞したこの曲には「人生を大切に生きてゆくんだよ…」と両親から言われたこと。そして、旅立ちを目前にした両親に「人生を大切に生きてゆきます…」と、沢田さんが約束したことが書かれとるがです。