田んぼには興味がなかった学生時代
「濱田ファーム」を立ち上げ、専業農家として米づくりに取り組んでおられる濱田さん。黒部の若手生産者のなかでも草分け的存在で、黒部市石田の立野地区で60枚ほど(約10ヘクタール)の田んぼを作っておられます。若くして、先駆的な農業を推し進めておられるので、昔から農業に興味があったのかと思いきや、
「ずっと、農業をやろうと思っていたことはなかった。たまたま、大学は農学部だったけど、そこまで考えていなかった。」
とのこと。家は兼業農家で、わずかながら田んぼもありましたが、もうやめようか、という話になっていたそうです。濱田さん自身、大学院時代には雑草の研究に取り組み、「田んぼが好きじゃなかったから、イネではなくてムギをやっていた」。卒業後も会社勤めをされていて、農業とは無縁の生活でした。
カナダでの経験
そんな濱田さんが農業を始めようと思ったのは、カナダでの生活がきっかけでした。
「会社を辞めたとき、自分がこれまで守られていたな、と思った。大学生とか、会社員とか、そういう枠がなくなって、何も、誰も助けてくれない。カナダに行って、着るものしか持ってなくて、言葉も通じないなかで、ある意味サバイバルな生活をするうちに、人生って、何をやってもいいんだな、と思うようになった。まあ、人生って言うと大きすぎるかもしれないけど。(笑)」
ホストファミリーのおとうさんやおかあさんの自由な生き方を見ていて、これまでの考え方に囚われずに自分を見つめ直した濱田さん。帰国して黒部に戻り、これからのことを考えたとき、
「就職先とすれば、都会のほうがたくさんあるし、それはちょっと違うな、と思った。なんとなく、農業をやったら楽しいのかな、という気持ちになりました。」
みんな取り払って、じっくり考えたから、自然と答えが出たのかもしれぬのう。
就農を阻む壁
農業を始めようと思った濱田さんは、市や県の就農支援の窓口を訪ねますが、最初はすべて断られたそうです。
「ダメとは言われないけど、やめとかれ、って。学歴もあるんだから、考え直して会社に勤められ、って諭されました。」
それでもあきらめずに別の窓口を探し、県の農業公社(現・富山県農林水産公社)に行ってやっと、研修をさせてもらえることになりました。2週間の短期研修から始まり、長期研修に進み、入善町の米山農産で1年間研修。2年間の修業時代を経て、3年目(2004年)に晴れて就農となりました。
現在、法人の農家に従業員として入ってくるなど、農業をする若い子は増えているようですが、黒部市では、機械も田んぼもない状態からの新規就農は珍しいらしく、濱田さんの後にはそういう例は聞かないとのこと。
「まったく農業と関係のないところから、変わった人が入ってくると楽しい。逆に、そういう人が入ってこないと、農業も変わらないでしょうね。」