鯛かまぼこの始まり
魚津の海岸と目と鼻の先にお店を構える中村蒲鉾さんは、明治40年(1907)から続く老舗のかまぼこ屋さん。元々は、漁師を営みながらその日に獲れたニギスやアジですり身を作っていたがよ。その後、初代の政次郎さんが、すり身の技術を活かしてかまぼこ作りを生業とされたのがお店の始まりながやって。
明治・大正時代、魚津の海岸には砂浜が広がっていて、地曳き網で鯛を獲る鯛網が大変盛んだったそうなが。お店のある辺りの海岸は「鯛曳き網の浜」と呼ばれ名所となるほど有名な場所やったがよ。陽光に照らされキラキラと輝きながら上がってくる鯛の姿はとても綺麗で、その姿を一目見ようと遊覧船が出るくらい沢山の人で賑わっていたそうなが。
当時、鯛網で獲れた真鯛を婚礼の引き出物として使っていたがやけど、不漁などで真鯛が獲れない時期もあったがやって。そこで明治の終わり頃、政次郎さんが真鯛の代替品として使って貰えるようにと、かまぼこで鯛を作り始めたのが、富山で婚礼用の引き出物として使われるキッカケになったそうなが。以来、本物の真鯛と比べて鯛かまぼこは日持ちもするから、徐々に広まっていったがよ。
2代目が生み出した手法
富山では細工かまぼこが当たり前のように根付いとるから、細工の技術も富山が発祥と思っとる人も少なくないと思うがいちゃ。でも元々、かまぼこの細工技術は、富山ではなく島根の出雲大社辺りが発祥ながいって。
政次郎さんは、細工かまぼこを作るにあたって、当時四国にいらっしゃった名人を招いて、細工技術の手ほどきを受けたそうなが。試作と研究を重ねて細工の技術を高めていかれたがね。その後、お店を継がれた2代目の次一さんが、細工かまぼこに革命をもたらす手法を編み出されたが!
絵心があった次一さんが、細工かまぼこで表現の幅を広げようと考案したのが「絞り出し袋に2色のすり身を入れて、ひとつの絞り口から出す」方法。2色のすり身を同時に出すことで、色に陰影を付けることができて、表現に深みが生まれたがいちゃ。その手法で作られた細工かまぼこを品評会に出したところ、大変評判になったそうなが。次一さんは、かまぼこ業界にインパクトを残しただけでなく、その後の魚津のかまぼこ業界の発展向上や後継者育成などに努められ、長年の功績が評価されて現代の名工100人に選ばれたがいぜ。努力と技術の追求が、富山の細工かまぼこの基礎を作っていたがいちゃね。
時代のニーズに合わせて
婚礼用の鯛かまぼこと言えば、両手で持ちきれないほどの大きいサイズを想像するがやけど、最近は細工かまぼこが小型化してきとるがいって。中村蒲鉾さんでは、若い人やお子さんたちにかまぼこをを食べて、喜んでもらえるように、富山のゆるキャラやこいのぼりなどのかわいい細工かまぼこも作られとるが。小さなかまぼこのキャンバスに丁寧に絵を描いていくがいちゃ。
時代が進んで、かまぼこの製造にも機械化が進んできたがですけど、細工かまぼこに関しては、今でも職人さんによる手作業がほとんどなが。かまぼこ作りは、日々の気温や湿度などにも影響されるし、職人さんの体調なども大事になってくるがいって。5代目の紀之さんは「うちの味、弾力、食感を出せるように材料や環境においても気を張って作るようにしています。ここで作る意味を大切に、日々格闘です」と言われるが。明治時代から続く伝統を大事にされながらも、時代に合わせた細工かまぼこを開発されとるがいちゃ。中村蒲鉾さんでは、オリジナルの細工かまぼこも注文することができるから、職人技が詰まった細工かまぼこをぜひ手に取って、見て感動・食べて満足してみられませ!
取材させていただいたお店・品 | 中村蒲鉾 細工かまぼこ |
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TEL | 0765-22-0730 |
住所 | 魚津市本町2-14-9 |
内容量 | ご相談に応じます |
価格 | ご相談に応じます |
営業時間 | 8:30〜17:00 〈定休日〉 木曜日・日曜日 |
備考 | ゆるキャラの細工かまぼこは、電鉄魚津駅「ミラマルシェ」と海の駅「蜃気楼」にて販売中です。 <ホームページ> https://nakamaboko.jp |
(2017年03月28日)